フレーズ

フレーズを作っていく感覚は、
文章を作っていく感覚にそっくり。

どこまでがひとつの文章なのか?
どこが一番話したいことなのか?
and or but どれなのか?

はじまりはおわりで、おわりははじまり。

言葉と音楽のつながりは大きい。発音の仕方も。
日本語はアクセントがないからなぁ。

英語が専門の友人が、日本人の英語は
アクセントがなく、その代わりに「音の高低」に
なってしまうという話を思いだす。納得である。

単語と文章、そして段落。それから章。そして1冊の本。
練習するとき、そのひとつひとつを解体し、そして統合する
必要がある。細かく切って、それから少しずつくっつける。

レッスンで、練習の仕方を教えることがある。
練習を一緒にやってみるのだ。たとえば、3小節フレーズ。
どうしても上手くいかないところがある。
それをまず最小単位に分けてみる。
必ず本来のテンポでどれくらいか?その質感を
保ちながら、何度か練習する。短い単位なので弾けるようになる。
単語ができあがってきたら、それらを貼付けていく。

身体にしみ込むと、
途端に説得力が出てくる。
不思議なものだ。

「はじめの一音で、
その曲の全てを表すような
そういう一音を」という
禅問答のような話を聞いたことがある。

本当にすごい演奏家は
そうなっている。

「一音で曲のすべて」までいかなくとも、
一音だしたときに、そのフレーズが
どこまでいくのか?が、見えているか
いないかでは随分と違う。

聞く側には結果的にそれが自然に
聞こえることが大切なのだけれど、
演奏する側は、見えていた方がよい。

富士山に登るのか、
高尾山に登るのか?は、
分かっていた方がよい。

長いフレーズだと分かっていないで
あまりに、軽装で、途中で息も
絶え絶えになることが、みな多し。。
ああ、かなし。。。

いかに練習するか?が、本当に大切。
レッスンでは、ヒントを与えるけれど、
それをどのように持ち帰って、練習してくるかが鍵。

先生たちは皆、これができたら、次にこれを言えると
先の先まで思っている。みんな、それに応えておくれやす涙。。

いずれにせよ、できなかったことができるようになる
というのは、本当に楽しいこと。その純粋な喜びを
感じてもらえるとよいな。

今日の言葉*

世界は「私」を超えたところで動いている。
このことをいち早く「あきらめ」たものが、時間の主宰者になる。
なんとかしようとしなくていい。自分の思うようにならなくていい。
そこに「聴く耳」が開く。時間が流れ出す

(森田真生)