さくら日和

おとといは、最高のさくら日和だった。上野は人がすごそうなので、日暮里の墓地へ。空気もきれいで、花はキラキラ光っていて、天国みたいな風景だった。しあわせだった。さくらを見ると、さくらの美しさにふれると、日本人に生まれてよかったなぁと毎年思う。夫はさくらにあまり興味がないので、毎年テンションが違うのが、すこしさびしい。。。

新宿のつな八が、天ぷら弁当を出していた。車のなかで、揚げている。天ぷら車だ。テンションが上がる。花より団子、花より天ぷら。しかし、注文してから随分待たされるようだったので、幼な子を抱えて、天ぷらを待つわけにもいかず、泣く泣く断念。

道ゆく人は、みな、こころが躍っている様子だった。わたしも同じだった。こどもの視線は、地べたに近いから、タンポポやアリさんの方に感動していた。タンポポは生き生きと黄金に輝き、アリさんたちは、せっせと、エサを運んでいた。春がきたのだ。

しばらくすると、大きな立派な木のある空間に出た。その先には大きな立派なお墓があった。よく見ると、澁澤栄一とある。パパが好きでよく話してる人だ。立派な人は、立派なお墓が似合う。大きな木も、その澄んだ佇まいも、好きになった。またここに遊びにこよう。

洋服は、なるべく自分で選ばせているけど、それにこれですか?!その発想なかったわー!とママは毎回目を見開く。今回はピンクに赤。派手だね!いいね!毎日おしゃれしようね。

新年度。演奏もレッスンも始動しよう⭐️

今日の言葉*
自分が信じないことは言わず、知ったからには必ず行うという思いが強くなれば、自然に言葉は少なく、行動は素早くなる。

澁澤栄一

311が近づくと

3/11が近づいてくると、
毎年胸の奥がヒリヒリと痛む

たくさんの死をおもう

この痛みは、少しずつ
薄れていくのだろうか
薄れてしまっていいのだろうか

それぞれが
それぞれの場所で
生きていく
日常がつながっていく

それでも3/11は
刻印のように
胸の奥に残り、
たくさんのものを
突きつけて
たくさんのことを
問いかける

この記事を読みながら、
いろんなことを思った

「ごめんなさい救助のヘリじゃなくてごめんなさい」

https://note.com/nhk_syuzai/n/nffb61de9ca6a

左右同圧、エネルギー

祈るときも、お茶碗とお箸でご飯を食べる時も、人間は両手を使う。左右同圧はとても大切。そしてヴァイオリンの場合は、上下同圧も大切だと思う。いかに脱力するかだけに目がいきがちだけど、その重さを対等に支える下からの支え。要はバランスなのだが、上手くいっているときは、エネルギーがプラスマイナス0のような感覚になる。テニスでボールの真っ芯に当たったときというのは、まるで打ってなかったかのような感覚がある。向かってくるボールの力と、迎え打つ自分が渾然一体になってスコーンと飛んでいく感覚。あれがプラスマイナスゼロ感覚。自分の真っ芯を感じられている状態。ラケット持ちすぎると手打ちになる。

上下、左右もそうだが、それに加えて、というより全方位からのエネルギーが回り出すとさらに素晴らしい。弾いているのに弾いてないみたいな感覚だ。特に足裏(土踏まず)が地面すいつく感覚になって、天と地がつながる。

さらにいくと、地面からのエネルギーを吸いつつ、第3の目が開いて、頭がポカーンとして、エゴがなくなってくる状態になると、天からインスピレーションがおりてくる。筒になった感じ。エネルギーが対流する感じ。地球の磁場と共鳴する感じ。壮大だけれど、音楽って宇宙とつながることができるものだ。

あくまで個人的なものだが、弾いているときの感覚をことばにしてみた。いつか、ヴァイオリンの手ほどき絵本を描きたいなぁ。

今日の音楽*

エネルギーが見事に循環している村上さんの演奏。何度見ても何度聞いても気持ちいい。素晴らしい演奏や音色はまるで温泉のようで、心も体もゆるめてあたたかくしてくれる。かなしみや痛みにもスーっとのびてきて、喜びは爆発する。今年の夏は音語りできるかなぁ。

今日の言葉*

“ 楽隊の音は、あんなに楽しそうに、力づよく鳴っている。あれを聞いていると、生きて行きたいと思うわ! まあ、どうだろう! やがて時がたつと、わたしたちも永久にこの世にわかれて、忘れられてしまう。わたしたちの顔も、声も、なんにん姉妹だったかということも、みんな忘れられてしまう。でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦(よろこ)びに変って、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう。そして、現在(いま)こうして生きている人たちを、なつかしく思いだして、祝福してくれることだろう。ああ、可愛い妹たち、わたしたちの生活は、まだおしまいじゃないわ。生きて行きましょうよ! 楽隊の音は、あんなに楽しそうに、あんなに嬉(うれ)しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。……それがわかったら、それがわかったらね!”

チェーホフ「三人姉妹」(神西清訳)