オロペサさん

先日のオペラガラコンサート。ソプラノ歌手のオロペサさん。とにかく歌声が素晴らしく、弾きながら何度も鳥肌が立って、涙が出そうになる瞬間が何度もあった。。。こんな経験は久しぶりだった。

https://youtu.be/djCdYqw3Exs

https://youtu.be/8zHEFfSQMCM

のびやかで、美しく、エネルギッシュで、艶やか。。余裕綽々で、どこまでも自由。変幻自在。予定調和はなく、その瞬間瞬間に生まれていく音楽。どんなに高音でも、耳が痛くなるようなうるささは、皆無。音というのは、空気のふるえ、心のふるえだったよねと、思い出させてくれるような、気持ちよさ。聞いていると、澱みが取れてゆき、心身、健康になりそう。こういう歌を聴くと、歌にはとても敵わないなぁ、楽器はどこまでいっても歌の真似なんだよねぇと感じる。私は見れなかったけど、舞台上での華やかさ、そして、ひとつひとつの仕草、演技も本当に素晴らしかったと、見に来てくれた夫が話していた。リハーサルのときも終始明るく朗らか、ツンとしたところが全くない。天は二物も三物も与えたのか!

イチローが、「プロフェッショナルとは?」という問いに「人々を圧倒すること」という内容を答えていたのを思い出す。まさに、全てに圧倒された。。。これからの時代を席巻していくスターだなぁ。ブラボー!

舞台裏はいつも、歴史を感じます

どうしたらあんな歌声が出るのか。同じ人間とは思えなかった。笑。と思ったら、YouTubeに、Q&Aコーナーがあり、歌の技術、練習の仕方、身体の使い方について、細かく解説してくれている。すごい時代だねー。

https://youtu.be/b5zxbFIZHUU

https://youtu.be/hHbPfRyxeyA

今日の言葉*

高校生のうちやっておくべきことは何ですか?」という質問もありました。僕の答えは「ありません」というものです。自分がほんとうにしたいこと、すべきことにいつ、どういうかたちで出会うか、それは予見不能です。「やるべきこと」について時間的な区切りを設けることはできません。誰でもある日「これがやりたい」と激しく思うことに出会います。その時にためらわず身を投じる。その用意だけしておけばいい。それは二十歳の時かも知れないし、子どもができた時かも知れないし、老人になった時かも知れない。いつでも遅すぎるということはありません。(内田樹)

通り抜ける風のような

行こうと思っていたのに終わっていた…ということが多いので、とりあえず貼ってみた。行きたい所には行ける時に行き、会いたい人には会える時に会っておいた方が良いなぁと感じる今日この頃。今年に入って、近しい人をたくさん亡くしたから余計にそう感じるのかも知れない。

20代は、音楽の道を突き進んで、ドイツまで行かせてもらい、ひたすら勉強し、オペラの世界で必死で働いた。30代は、久しぶりに帰国して、教育の現場にも身を置く機会をいただき、これまで与えていただいた学びを、若い人々へひたすら渡す、伝える日々だった。40代に入り、結婚、二度の出産を経験し、これまた知らなかった世界に飛び込んで、人生が激変した。元々昨日食べたものも覚えていられないような性質だが、出産前は、前世くらいに感じるし、ドイツ留学前は前々世くらいに感じる。

思っているよりも色んなことがあり、色んなことを忘れ、思い出し、思っているよりも人生はあっという間で、意味があるようでそれほどなくて、人の一生でできることは限られていて、もしかすると、あらゆることは通り抜けてゆく風のようなものなのだろうなと、歩んできた道をふと振り返る。どんな時も全力で応援してくれている両親には感謝しかないし、夫をはじめ、周りのたくさんの方々とのご縁にも感謝してもしきれない。ヴァイオリンという楽器、ひとつのことをよくもまあ、こんなに長く続けてきたよなあとはたと思う。運が良かったのだろう。

さてこれから、10年、20年と、わたしには何ができるだろう、この与えられている時間や生命に感謝して、どのように活かしていけるだろう。実は、まだまだやりたいことは沢山ある。頭の中には、楽しい妄想でいっぱいだ。何から着手しようかというところだ。主宰している「音語り」もさらなる広がりをさせていきたいし、ヴァイオリンの手ほどき絵本も残したい。こどもたちと愉快な大人たちが、気軽に集まれる「場」も作りたい。考えるだけでワクワクする。やはり、大切なのは、自分自身が楽しい!と心躍ることをし続けることなのだろう。大きなことでなくても、生活の中でも小さな喜びと共に微笑みながら生きている人は、とても素敵だ。ご機嫌な大人が増えたら、子どもたちももっと笑顔になれるはず。

ひとりごとのような日記になった。笑。とにかくもう少しこまめに更新しようと思ったので、このまま更新!

追記:

アーティストの岩岡純子さんが、ボストン美術館展についてインタビューを受けていた。面白かった…色々なるほど。ますます見に行きたくなった…特に絵巻…。専門家はこのように絵を見ているのか、いや、見えてくるのかとなるほど…。

最近、夕空が気持ちいい

今日の音楽*

今日の言葉*

「天地無始終、人生有生死」

水路、天心

整体を受けてもどうも腰が痛くなり、これは臓器系からくる痛みだろうと感じ、本当に久しぶりに、丸山先生のオステオパシー受けてきた。

丸山先生の施術は、わたしは多分相性がよいというか、大好きで、身体が瑞々しく活気を取り戻す感じがする。言うなれば、しなしなになっていた植物に、水をあげて、ピンとなる感じだ。澱んでいたり曲がっていた、身体を巡る細かい水路がスッと通り、田んぼにまた水が流れてゆく感じ。流れている時間も不思議で、たいてい、途中から爆睡😅今回はいくつも短い夢をみて、1時間とは思えないというか、何十時間のようにも感じた。。左下腹と、腰の痛みがずっと長くあった。先生曰く手術をしているから癒着などもあり、腹部に圧力がかかりやすい状態で、それに伴い、胸部そして頭部にも影響が出ていると。毎回、やることが違うのだけれど、今回は、ひたすら、おなかを柔らかく柔らかくさわって、ほぐしていくような感じで、まるで、もつれていた毛糸の玉が解されていったような感じだった。決して強い圧で揉むようなことはなく、ほんとに、さわるだけなのだけど。。揉まれると、身体が反射的に緊張してしまうけれど、繊細に身体と対話してくれる感じで、身体も心をゆるしてゆく感じ。整体のように、パッキリその日から抜群によくなる!という感じではないけれど、じわじわと、1〜2週間かけて、よくなっていくのが、不思議。身体が本来もっている方向性や感覚を目覚めさせる(もしくは思い出させる)のかもしれない。おなかをさわっているのに、右耳が、ぼわーーんと、開いていく感じがずっとしていたり、首や肩の周りが、楽になっていったり。身体は、繊細に連綿とつながっているのだなと感じた。

施術終わった後、腰の痛みも、下腹の痛みも無くなっていた。そして、ゆるんで、ねむい。。。でもせっかくだから、この感覚を書き留めておこうと思い、眠気とたたかいながら、公園で書いた。。

植物がなぜ生きているのか、なぜ人は生きているのか。なぜ心臓は動いているのか。いくら解剖してもその謎はわからない。生命の動きや輝き、潤いは、一体どこからくるのだろう。天から与えれている、命の力かな。

こどもはまさに、天心!が宿っていて、毎日まぶしい。彼らが楽しく生きていけるように、我々大人はなにができるだろうと、日々考える。

今日の音楽*

今日の言葉*

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。 私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。 そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。 もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。 出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。

ゲシュタルト療法