ロゴスよりエロス。

昔読んだ本のこの文章がとても心に残っている。
今ふと読み返して、やはりとても大切なことが
書いてあるように思う。

純粋な贈与。
はて、わたしはできているだろうか。

***

魂は商品として、売り買いすることができません。情報として、蓄積したり、伝達したりすることもできません。魂は贈与されるものです。自然から人へ、人から人へ、魂は見返りを求めることなく、贈り与えられ、それを受け取った人は、自分が受け取ったものにもまさるすばらしい贈り物を、他の人々に贈り与えようとするのです。人はいったい何の力にうながされて、このような贈与をおこなうのでしょうか。自分や自分に親しい者たちだけが、幸福になったり、利益を得たりすることを望んでいるあいだは、人は贈与者になることができません。そういう人は、贈与ではなく、商売をするのです。商売は人と人との間に、距離をつくりだす力を持っています。人の所持品が、もはや魂にかかわる物ではなく、その人から切り離すこともできるようになったとき、はじめてそのものは、商品となることができます。おたがいに分離された人と人の間を、魂の問題などには無関心な商品が受け渡されていきます。そこで働いているのは、人と物、人と人とを分離する「ロゴス」の力です。商品の売り買いによって、人と人が結びつけられることは、ありません。そこで実現される幸福は、エゴや共同体や民族のつくる、閉じられた世界の外に、広がっていくことがありません。ところが贈与は、そのような拡大を実現しようとするのです。贈与は人々を結びつける力によって、働きをおこないます。つまり、それは「エロス」の力によって働くのです。何の見返りを求めることもなくおこなわれる贈与は、相手の気持ちに、お返しをしなくては、という負担をつくりだすことがありません。贈り与えられるものは、魂と魂とのあいだに、エロティックなひとつの通路をつくりだします。そのとき、贈られる物といっしょになって、それを贈る人の魂が、贈られた人の魂のなかに、侵入をはたすからです。ここには、偽善はありません。「エロス」には、小さな自愛の鎧を、打ち砕く力があって、純粋な贈与への欲望にうながされてあるとき、人は他者に対する免疫抗体のメカニズムを、解除しています。そして、そのような無防備な状態にある魂が、贈与物をつうじて、自分とエロティックな結合をつくりだそうとしているのを知るとき、それを受け取る人の魂も、ほがらかな喜びを体験することになるのです。 これが、贈与です。そして、宮沢賢治という人は、そのような贈与者、しかも稀に見る純粋さで、このような贈与の精神を生きた人であったのだろう、と私は考えるのです。

(中略)

この世に人として生きていて、いかも純粋な贈与者でもあるような生き方が可能であるためには、その人は、自分のエゴへの執着を、のりこえることができなければなりません。そういう人は、自分だけが幸福になっても、少しも幸福な気持ちになれません。万人が、いやありとあらゆる有情(意識の働きのあるもの)が、幸福にならないかぎりは、自分も幸福にはなれない、これこそが「贈与の霊」の人類にあたえた、偉大なる教えです。しかし、決意して贈与者になろうとしたものは、現世では、けっして幸福になれません。現世では、贈与はつねに誤解されて、裏切られていく運命に、さらされているからです。

中沢新一「哲学の東北」

今日も一日おつかれさま。

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「今日も一日おつかれさま。

外にでる気分じゃなかったけど
出てみたら太陽が気持ちよかったり、
ひとりでいたい気分だったけど、
すこし話してみたら思いのほか気分が晴れたり。
なんでも決めつけないことって
大切だよねー。そして気分転換。
ほとんどは気分で成り立ってるからさ。
すべては気分次第なのさ。

ふさぎ込むことも、ひとりになることも
時にはとても必要だし、大切だけれど、
少し風向きを変えるだけで、
ふと気持ちが軽くなったり
ふとやさしさに包まれたりする。

とにかく、いろんな日があるってことさ。
生きていれば、いろんなことがあるってことさ。
あんまり考えすぎないで、
気楽にいこう。

今日も一日おつかれさま。」

今日の言葉*

流れに逆らうことなく、上に行くべきは上に行き、下に行くべきは下に行く。
上に行くべきときには、いちばん高い塔をみつけてそのてっぺんに登ればよろしい。
下に行くべきとには、いちばん深い井戸をみつけてその底に下りればよろしい。
流れがないときには、じっとしておればよろしい。流れにさからえばすべては涸れる。
すべてが涸れればこの世は闇だ。

村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」

コンパスポイント

今度の土曜日、コンパスポイントという場で
お話と演奏をさせていただくことになりました。
http://compasspoint.asia/whatwedo/archive.html

日時:
2016年3月5日(土) 
10:30-13:30 (10:15開場)
(ランチ懇親会:12:30-13:30)

会場:恵比寿 EIJI PRESS Lab (英治出版本社)
http://www.eijipress.co.jp/lab/access.php

会費:1000-1500円の間で調整中(懇親会はプラス1000円)

お申し込み:
https://docs.google.com/forms/d/1KzZBmsZXHUNFQmwnZRtpkz-_2OgQtwYZCJ_oo9v6Hug/viewform?c=0&w=1
懇親会のランチ注文の都合で、3日の午前中までのようです…

内容:
コンパスポイントの趣旨が「情熱の魔法瓶」ということで(熱い!)
これまで自分がどのようにヴァイオリンと共に
音楽の道を歩んできたかということ、
ドイツでの修業時代のことや、音楽への思いなどをお話すると思います。
また講座「音語り」のように、演奏をまじえながら、
音楽の魅力や不思議をお話し、参加型のミニワークショップも
予定しています。主に、音の感じ方について。

人数もそんなに多くなく、アットホームな場になると思います。
もしよかったら、いらしてください♪

それにしても、自分の人生を振り返り、
人前で話させていただくことになるなんて
思いもよらなかった。。。。。
とても貴重な機会をいただき、感謝。

なにか大きなことを成し遂げたわけでもなく、
失敗や挫折もたくさんありながら
ただただ必死に生きてきたけれど、
小さい自分が、ひとつひとつ紡いできたこと、
たくさんの人々に与えられてきたこと、
大切にしてきたことを思い出しながら、
お話させていただけたらと思っています。
それが、誰かにとって、何かのヒントや
ポンと背中を後押しする一歩になることができたら
幸いです。

あー緊張いたします。。。

今日の言葉*
どんな人も馬鹿にしない。この行為こそ、どれほど難しいか。
そして、この行為こそ、どれほど多くの学問への道を開くのか。
学問とは問うという学びである。人の言葉に耳をすまし、
自分の問いへの礎にする。敬意こそ学問の神なり。
人を愛すという行為は感情であり学問である。つまり学問とは感情でもある。

坂口恭平